佐藤万絵子トークイベント

聞き手:島貫泰介[美術ライター/編集者/アサヒ・アートスクエア運営委員]

撮影:柳場大

日付:2016年1月24日
会場:アサヒグループ本社ビル 3階第7会議室

本展覧会に至る経緯と空間について

佐藤:今回の企画は、2000年から15年くらいまでの間に描き溜めていたドローイングを全て出して、さらにいま描いている現在の描線と出会わせて、新しいものを生み出して行くという試みです。この企画自体は、今回の公募に応募した14年に思いついたことではなく、02年の12月末から今までずっと温めてきた企画です。

「in the picture/ out of the picture 絵のなか/絵のそと」会場制作風景 制作年:2002年12月/素材:オイルスティック、手漉き和紙、木枠、紙袋、布靴/会場サイズ:435×287×270cm/展示場所:Space Kobo&Tomo(東京)/撮影:小川原朝美

「in the picture/ out of the picture 絵のなか/絵のそと」会場制作風景
制作年:2002年12月/素材:オイルスティック、手漉き和紙、木枠、紙袋、布靴/会場サイズ:435×287×270cm/展示場所:Space Kobo&Tomo(東京)撮影:小川原朝美

02年の12月の個展の搬出の時、せわしない最中でしたが、ギャラリーのオーナーの方の機転で、梱包をしてしまう前に、1メートルか2メートルくらいずつのドローイングを一度全て床に並べて観てみようか! ということになりました。そこのギャラリーの床は、入口より一段二段低いところにあったのですけれども、並べたドローイングをギャラリーの入口から見下ろした時の俯瞰した感じに、なぜか、すごくはっとするものがあって、その時、「私は、今見ている景色を、いつか必ず、実際もう一度展開する」とはっきり感じたんですね。それで、会場制作で描いたドローイングをその個展ごとに毎回全部梱包して保存し続けてきたんです。ひたすら保存してきて、カビや湿気などにかなり気をつけながら5回くらいアトリエを引っ越したんですけど。個展ごとに1メートル、2メートル、さらにそれ以上の大きさのドローイングが何枚も溜まっていくんです。それを今回、全て運んできました。

ただ、「いつかわたしは絶対これまで描き溜めてきたドローイングで、もう一度全部見渡す景色をつくる」ということははっきりわかっていたんですけど、それを実際、どういうふうに構築すればいいのか、長い間、方法は全くわからなかったんです。わからなかったし、それを実現できる実力が今の自分にはないこともすごくはっきり分かっていたので、この計画はずっと秘密で、本当に誰にも話してはいけないと思って、自分の中で抱えてきたんですね。それなので毎回の展示の搬出やアトリエの引越で、友達に手伝ってもらって梱包したり運ぶ時、「全部とっておいてどうするの?」みたいなことをずっと聞かれてきたんですけど、本当にそれを「実現できる、こういうふうにして実現する」と言える時まで口に出せなくて。言って実現できなかったら嘘になるし、どうしても実現したいことだったので、それを守りたくて、今回この公募に応募しました。 実はこの公募の前にGrow Up!! Artist Projectに応募したことがあって、その時に応募する企画書を書く為に、一度、会場の下見には来ていて、アサヒ・アートスクエアの空間がどんな感じかは把握していました。

島貫:ちなみにそのアサヒ・アートスクエアのGrow Up!! Artist Projectというのは今佐藤さんがやっているOPEN SQUARE PROJECT(以下、OSP)とは違って、一年間かけてなんらかのプロジェクトや実験をするというプロジェクトです。そちらにも応募されたということですか?

佐藤:そうです。それがあったので、事前にこの会場を知っていたんです。一回展覧会を見に来て、どういうふうに使えるのか/使われているのかを知っていたので、5階のガラス越しに4階フロアーを見たときに、わたしが02年にギャラリーで床一面にドローイングを並べたときの一段上から俯瞰した時の感覚と近いと思って、この場所であればやりたいことができると思ったんです。それで応募しました。

島貫:もうご覧になった方もいるかと思うのですが、いま作品がメインで展示されているところは4階で、5階とは回廊状になった場所です。今回は左奥からのみ4階を見下ろせる空間構成になっていますが、普段は全面がガラス張りになっています。そうやって下を見下ろせるような構造が、02年の展覧会の体験と重なったんですね。

佐藤:はい、それともう1つ応募を決めた大きなきっかけがあって、なぜ「今ならできる、今ならその力がついたんじゃないか」って思えたのかということなのですが、会場制作の展示と同時平行で続けていた「紙袋の制作」をやっと展開できたからなんです。

会場制作していると、それだけですごく一回一回の展示で心身を使い果たした感じになるので充実感みたいなものを感じやすく、私の場合は、その疲労から来る充実感で、自分や自分の作品が一回の展示ごとに成長しているものとすごく錯覚しやすいんですね。それで、本当に自分の実力がついているのか、作品が成長しているのかどうかっていうのを測る為に「紙袋の制作」を02年頃から『制作の測り』として位置づけ、アトリエで続けてきました※「紙袋の制作」は1996年から開始。例えば展覧会での会場制作で、「今回はひとつなにか(制作が)突き抜けられた気がする」って感触を持ったとき、アトリエに帰って「紙袋の制作」の続きをやると、「紙袋の制作」の方もズバッと次の展開に行けたりとか、双方に連動するものがあって。逆に例えば、「すごく成長できたかも」と充実感を持って会場制作から帰ってきて、アトリエで「紙袋の制作」を観たときに、見え方が会場制作に向かう前(搬入前)と全然変わらなくて、自身の制作の成長の目盛りが全く動いていないことが分かって愕然としたりとか。そういうふうにして、私にとって、「紙袋の制作」は、今の私はどこまで制作が進めたのかな、どこまで自分の制作が成長できたのかなっていう現在地や成長の度合いをを測ることができる、大切な計測器のような存在なんです。それが13年にバッとすごく展開したのです。

「ラヴ・レターの紙/ラヴ・レターのことば」より部分 制作年:2002年/素材:オイルスティック、手漉き和紙、針金、黒板/会場サイズ:900×700×300cm/展示場所:旧桜川小学校(東京) /撮影:柳場大

「ラヴ・レターの紙/ラヴ・レターのことば」より部分
制作年:2002年/素材:オイルスティック、手漉き和紙、針金、黒板/会場サイズ:900×700×300cm/展示場所:旧桜川小学校(東京) /撮影:柳場大

「in the picture/ out of the picture 絵のなか/ 絵のそと」 会場制作風景 制作年:2003年/素材:オイルスティック、キャンバス、紙袋、紙/会場サイズ:1390×456.5×310cm /展示場所:人形町エキジビットスペースVision's(東京)/撮影:柳場大 *市販の白い紙袋を使用した。

「in the picture/ out of the picture 絵のなか/ 絵のそと」 会場制作風景
制作年:2003年/素材:オイルスティック、キャンバス、紙袋、紙/会場サイズ:1390×456.5×310cm /展示場所:人形町エキジビットスペースVision's(東京)撮影:柳場大
*市販の白い紙袋を使用した。

「in the picture/ out of the picture-LIGHTHOUSE to fall into the picture」会場風景
制作年:2005年/会場サイズ:435×287×270cm/展示場所:Space Kobo&Tomo(東京)/撮影:柳場大

「in the picture/ out of the picture-LIGHTHOUSE to fall into the picture」会場風景
制作年:2005年/会場サイズ:435×287×270cm/展示場所:Space Kobo&Tomo(東京)撮影:柳場大

in the picture/ out of the picture,boat 1 制作年:2005年/素材:4オイルパステル、手漉き和紙/作品サイズ:122×23×13cm/撮影:柳場大 *白い手漉き和紙を貼り合わせて紙袋を作り、描いた。

in the picture/ out of the picture,boat 1
制作年:2005年/素材:オイルパステル、手漉き和紙/作品サイズ:122×23×13cm/撮影:柳場大
*白い手漉き和紙を貼り合わせて紙袋を作り、描いた。

in the picture/ out of the picture 絵のなか/ 絵のそと 制作年:2005年/素材:オイルパステル、オイルスティック、手漉き和紙/サイズ:300×300×300cm(サイズ可変)/展示場所:群馬県立近代美術館 /撮影:柳場大 *白い手漉き和紙を貼り合わせて紙袋を作り、その中に自身が入って描いた。

in the picture/ out of the picture 絵のなか/ 絵のそと
制作年:2005年/素材:オイルパステル、オイルスティック、手漉き和紙/サイズ:300×300×300cm(サイズ可変)展示場所:群馬県立近代美術館 /撮影:柳場大
*白い手漉き和紙を貼り合わせて紙袋を作り、その中に自身が入って描いた。

島貫:その紙袋のシリーズと、今回の展示で行っている空間的に広がりのあるシリーズが、同じ水準で必然的に結ばれたんですね。

佐藤:「紙袋の制作」を、13年に府中市美術館での「ダイチュウショー」という展覧会で展示させて頂いた時に、長い間抱え込んでいた「紙袋の制作」をやっと展開できた感触があったので、もしかして今だったら、そのずっと抱え込んでいた過去のドローイングも、どう構築すればいいのか、それを実現する力が自分についているかもしれないと思いました。

モンシェール 銀座・祇園(あの夜の月) 制作年:2013年/素材:水彩絵の具、オイルパステル、紙袋/サイズ:64×42×16cm 作家撮影

モンシェール 銀座・祇園(あの夜の月)
制作年:2013年/素材:水彩絵の具、オイルパステル、紙袋/サイズ:64×42×16cm/作家撮影

マクドナルド(森のはじまり) 制作年:2013年/素材:水彩絵の具、オイルパステル、紙袋/サイズ:98×90×40㎝ (サイズ可変)/展示場所:府中市美術館市民ギャラリー 作家撮影

マクドナルド(森のはじまり)
制作年:2013年/素材:水彩絵の具、オイルパステル、紙袋/サイズ:98×90×40㎝(サイズ可変)展示場所:府中市美術館市民ギャラリー/作家撮影

それでOSPの公募を知って、あそこの空間は心のなかの展示のイメージにあった俯瞰ができると思い出して、じゃあ応募してみようっていう感じで。

紙袋の制作について

島貫:なるほど。ちなみにさっき言っていた紙袋のドローイング、今5階のところにも同じような手順でつくった、キャンバスに貼り付けてある作品があって、それをまた後ほど観て頂くと今の話も含めて理解できるかなと思います。佐藤さんがOSP公募に応募された際に、かなり詳細な企画書を提出してくださいました。採択後には、さらに詳細を詰めていったので、現在とはまた違う内容のものではあるのですが、最初から佐藤さんは「絵の内側」と「絵の外側」の関係性が非常に重要であるっていうのをたびたび強調して言っていらして、おそらくその「絵の内側」っていうのが紙袋の展開だったり、あるいは今回やってるようなインスタレーション、自分が中に潜って行っていくような行為が同時に「外」であるような関係性があるのかなと思います。そこで、紙袋とインスタレーションの関係性をもう少しお伺いしたいです。

佐藤:「紙袋の制作」では、最初に紙袋に手を入れて始めます。その袋の中だけを見て描き始めるんですけど、紙袋の底の部分に描いてるうちに紙袋が破けたりして、描いている手指が紙袋の外側に突き抜けちゃったりすると、紙袋のお店のロゴや印刷されている色、例えばパン屋さんの「アンデルセン」、カメラ屋さんの「ビッグカメラ」といった文字とか、黄色とか虹色とか黒とか、そういうのが急に目に入って来るんですね。紙袋の中に手を突っ込んで描いているときには紙袋の外側に印刷されているものは意識していないんですけど、制作に集中している時に紙袋がなにかの拍子に破けて、そういうのがバッと見えたりとか、ちょっと描く手を離したときにいきなり紙袋の外側がわっと目に入ってくると、ドキッとしたり、ちょっとザワッとする。それまでは絵の中だけ、描いているものだけを見ていたのに、紙袋の外側の柄とかロゴとかが突然目に入って来る感じ。その感じが、ギャラリーで会場制作させていただいている時に、喉が渇いて外で自動販売機になにか飲み物を買いに行こうと、ギャラリーのドアをバッと開けた時に、いきなりバンッと見える外の道路と街の景色、どぎつい色の看板とかが突然、一斉に自分の目に入って来る時に似ているというか。人が歩いていたり、車が走っていたり、緑があったり、そういう街の雑踏や猥雑さや憩いを感じる自然や、ざわざわしている感じが一気にバーッと制作中の無防備になってる自分のなかに入って来る感じというか、そういう、くらっとする感じがすごく似ているというか。「紙袋の制作」をしている時の感覚と、ギャラリーのホワイトキューブの中で、そこだけが絵の世界だと思っていた場所から、ギャラリーの扉を開けてバッと外の景色が入って来たときの、ギャラリーの扉の際で感じる、狭間でのゾクッと、ドキッとする感じとが、とても近いです。

キルフェボン(コンパス) 制作年:2013年/素材:水彩絵の具、オイルパステル、紙袋 /サイズ:19×20×20㎝ 作家撮影

キルフェボン(コンパス)
制作年:2013年/素材:水彩絵の具、オイルパステル、紙袋 /サイズ:19×20×20㎝/作家撮影

島貫:紙袋の話からすると、つまり覗いた中だけを見て描いている作業をしているときに、破くことで、それは外からの目じゃなくて、突然破れることで紙がちょっとめくれて、アンデルセンとかマクドナルドとかのロゴが見えることで、突然外と繋がるというか。それが、ギャラリーの内側と外側の関係性と似ていると。

佐藤:はい。

島貫:以前、今回の展覧会についてのインタビューをさせていただいたんですが、その際に佐藤さんは、武蔵野美術大学の油絵学科在学中のある時期、まったく絵を描くことができなくなったという話をされていました。それが、紙袋によって視覚を遮り、制作の行為に没入したり、あるいは絵と自分の関係を少し離したりするような手法に辿り着くきっかけになったそうですね。描けなくなったことと、紙袋の制作がどのように繋がっているのでしょうか?

佐藤:それまではふつうにがんがん制作をしていたのですが、大学の3年生になる前あたりに、自分が描いた線、自分の手から出てきた描線を、全部拒否したいという感じになって、自分の手が何かした跡を全く見られなくなってしまって。例えば電話しながらメモをとっていて、間違ってぐちゃぐちゃっと塗りつぶしただけでも自分の故意なドローイングに見えてしまって、そうすると反射的にくしゃくしゃっとしちゃったりして。「ダメだ、見られない」と、うまく言えませんが、自分が描いたものを心身が受け付けなくなってしまった時期があったんです。美術大学は、今の、自分の描いたものも見られないような、こういう自分がいるべき場所ではないと、休学や退学を真剣に考え、思い詰めて。そういう状態なんですけど、一方で、絵を描きたいって気持ちは、変わらずいつもどおり元気で、どんどん湧いてきて。それで、今のこの状態の、「自分の描いたものが見られないんだけど描きたい」と思っているのを両立するにはどうしたらいいんだろうと考えて、やっと最後に始められたのが「紙袋の制作」です。

当時、クラスやアトリエが決まってから、最初のオリエンテーションにも出席できない状態で、アトリエ内での(どうしても競争になる)制作の場所取りの話し合いにも参加できなかったんです。それで、ようやく学校に辿り着けた時に、アトリエ内で残っていた場所は、道具入れ用の扉の無い大型の木製ロッカーでした。友人が「もう、壁がある場所無いよ」と慌てて言いに来てくれたけれど、でも、なぜか、今の自分にぴったりの居場所かもしれないと思って、どこかほっとしたんです。

それで、まずは、アトリエの外で拾った木切れを紐で束ねたもので、絵を描くための「絵の椅子」を作って、その木製の大型ロッカーの前に置きました。その「絵の椅子」で、木製ロッカーに向かい合うようにしゃがんで座って、「描けないけど、何も制作できないけど、絵を描くアトリエに居ること」をするところから始めました。

そのロッカーが1メートル四方くらいの大きさなんですけど、そのうちに、向かいあって見つめているロッカーの内側に白い紙を貼り、その白い箱状のところに絵を描いているつもりで、実際には紙袋の中に手を突っ込んで描くということを始めました。「今は(ロッカー内の)あの右奥の空間を描いているつもり」っていう感じで紙袋の底で手を動かして描くというのを続けて。

「わたしが今 絵を描くために必要な装置/ 2期 」より部分 制作年:1996年/素材:クレヨン、紙袋 作家撮影

「わたしが今 絵を描くために必要な装置/ 2期 」より部分
制作年:1996年/素材:クレヨン、紙袋/作家撮影

実際はそのロッカーの内側の白い空間にはなにも描かないし、ロッカーはずっと白いままなんですけど、でもロッカーと手元の紙袋の中に描いてるものとの間には、なにか、「絵のようなもの」があるような。「絵を描いているような感じ」っていうのだけは、感じられて。実際の絵は出来上がってはいかないので、すごく虚しいんですけど、でも今はこの「絵を描いているような感じ」によって、絵を描きたい気持ちは果たすことができると思って。

「紙袋の制作」、一年半の間そういうような制作が続くんですが、そういう「状態」を制作や作品として認めてくださった先生方や、きちんとキャンバス等に描きながらなんとなく傍で様子を見守ってくれていた同じアトリエの友人たちの力を、ずっとすごく、紙袋のなかに手を入れて制作する時、肌に感じていました。今も、その時のことをすごく感謝しています。もちろん、厳しい批判も受けましたが、うまく言えませんが、今、私が、キャンバスなどに絵画制作をしているひとをすごく尊敬しているのは、その時の体験が大きいと思うんです。自分の制作が依存しているものの大きさを思い知ったのがこの時期でした。また、自身が救われた体験で、美術の懐の深さを実感したのも、この時期でした。この時期に学んだことは、本当に大きかったです。

それを1年間くらい続けて、だんだん少しずつ、その紙袋の底に自分が描いたもの(物質)がなんだったのかっていうことを見たいという気持ちが出てきました。

島貫:でも、最初のうちは目にしただけで「うわっ!」て拒絶してしまう状態だったってことですよね?

佐藤:そうです。それで、紙袋の底に両手の指を当てて内側から上に向けて、ちょっとずつ押し上げていって……。

島貫:くるっと?

佐藤:はい、くるっとしたいんですが、でも一気にくるっと裏返すことはできませんでした。紙袋の底面を上に押し上げていくほど、紙袋の底面を眺めている自分との距離はちょっとずつ近くなりますよね。それで、これ以上押し上げるのはもう吐き気がきて無理だとか、今日は自分が描いたものと一切向き合えないとかって、一度は押し上げた紙袋の底面をまた元に戻しちゃったりとか、そういうのを何度も繰り返しながら、抱えていた沢山の紙袋の底面を、ゆっくり、すごくちょっとずつ押し上げていって。

「わたしが今 絵を描くために必要な装置/3期」より部分 制作年:1996年/素材:クレヨン、紙袋 作家撮影

「わたしが今 絵を描くために必要な装置/3期」より部分
制作年:1996年/素材:クレヨン、紙袋/作家撮影

あるとき、そのうちの一つだけ、完全に紙袋の底面を、最後まで上に押し上げきれたんですね※ 紙袋の内側の底面を表側にひっくり返せた状態。あ、これがそうです(作品写真を示しながら)。これがひっくり返せた時のものなんです。

「わたしが今 絵を描くために必要な装置/5期」より部分 制作年:1997年/素材:クレヨン、紙袋、キャンバス、段ボール 作家撮影

「わたしが今 絵を描くために必要な装置/5期」より部分
制作年:1997年/素材:クレヨン、紙袋、キャンバス、段ボール/作家撮影

島貫:デパートの紙袋みたいなものですか?

佐藤:そうですね。お店の紙袋です。もう全て(紙袋の内側の底面を表側に)ひっくり返せたので、自分が描いたものと向き合えるようになった、もう描けると思ったんです。それで、それまでのアトリエでの、内側を白くした木製のロッカーや、その前にしゃがんで描くための「絵の椅子」や、実際には全く何も変わらないロッカーの真っ白い内側や、紙袋の中の絵具の重なりを見るための「絵の外にある椅子」などを、その一式を私は「わたしが今、絵を描くために必要な装置」と名付けていたのですけれども、その装置にもう頼らずに描くために、その装置一式を自分がちゃんと手放す為の「解体式」をしなければならないと思ったのです。その展覧会の展示風景がこちらです。(1997年10月個展『「わたしがかつて絵を描くために必要としていた装置」解体式』武蔵野美術大学課外センター展示室)

島貫:今の写真を見ると、これは要するに袋の底面をキャンバスのような平面として見て描いてるということですね。しかし現在の紙袋の制作は、破れたり反転したりちぎれたりして、立体的な造形性を得ている。つまり彫刻的になっています。そのように変化していったのは、その後の展開でしょうか?

佐藤:そうですね。「紙袋の制作」の初期(1996年)は、描いている紙袋の底面(描いている色がどうなっているかも筆跡も)まったく見ないで描いていますし、この時には紙袋の外側も全然、制作してる時に意識にないですね。

島貫:外側も意識するようになったのはだいたい何年くらいから?

佐藤:2007年がきっかけですね。それまでずっと和紙などの白い紙だけを使って会場制作していましたが、自分が絵の神聖さのようなもの、絵の崇高さみたいなものを信じているとしたら、その紙の白さとか和紙の作られていく過程のその時間の含みだとか、そういうものにすごく頼っているんじゃないかっていうことが気になったんですね。手漉きの和紙をずっと使っていたんですけど、その和紙だけでもすごく工芸品として完成しているので……。

島貫:紙の肌理とか色?

佐藤:はい。それから、その過程も。02年に福井県の今立町(現在の越前市)で滞在制作をさせて頂いて、紙漉きの職人さんと触れ合わせていただき、紙漉きの工房を長い時間、見学させていただいた経験が、私には大きかったです。和紙を漉く工房自体が、すごく美しいんです。絶えず聴こえている水の音や、職人の方々の居ずまい、立ち振る舞いや手さばきや、そういったものが、紙の白さを見極める為に、自然光が大きな窓から入ってくるのですけれど、その柔らかい光にぜんぶ包まれていて、静かで、本当に、美しかったんです。水を通した和紙を乾かせるのにも、強引さが無く、すべてが過不足なくて、自然のはやさに委ねられた時間軸にありました。

それで、その頃の私が、出来る限り、絵を描く時には手漉きの和紙を使うことにこだわっていたのは、そういう和紙が作られる過程が持っている美しさに、助けられて描いているということを制作の力にさせて頂いていたのですけれども、一度、その考え方を思い切って手放してみようと思ったんです。

なぜそう思ったかというと、07年のある日、いつもどおり、和紙の専門店で長い時間をかけて、試し描き用に幾種類も和紙を選んで買って、和紙のお店の紙袋を提げてアトリエに帰ってきた時、いつもは「さあ、どれから描いてみよう」とうきうきと嬉しい気持ちなのに、ふとシラけている自分に気が付いたんです。「今の自分にとってリアルな紙」というのは、このお店の紙袋の中にある手漉き和紙ではなく、今さっき、にがてな人混みの街から自分が落ち着くアトリエまで、取っ手を握って運んできた、お店のロゴの入った、この紙袋自体のペラペラな紙のほうなんじゃないかと思ったんです。

それで、07年の展示の時に、新聞紙や広告のチラシなどだけに描くというのを会場制作でやったのですが、すごく難しかったです。その時に作品の中に紙袋や包装紙の一部を使って、例えばITO-YAの黒い色のロゴをちょっとずつ自分なりの文字でたどるように黒いオイルスティックで会場の床にドローイングしていったりみたいなことをしました。それが最初のきっかけです。

「A Saucer」会場制作風景 制作年:2007年/素材:オイルパステル、オイルスティック、紙袋、新聞紙、チラシ、和紙/会場サイズ:435×287×270cm/展示場所:Space Kobo&Tomo(東京)/撮影:柳場大 *店舗の紙袋を1997年以来で素材に使用した。

「A Saucer」会場制作風景
制作年:2007年/素材:オイルパステル、オイルスティック、紙袋、新聞紙、チラシ、和紙/会場サイズ:435×287×270cm/展示場所:Space Kobo&Tomo(東京)撮影:柳場大
*店舗の紙袋を1997年以来で素材に使用した。

島貫:高級な和紙ではなく、どうでもいい紙を使うということですね。そうやって作品を展開することで、描く強度を高めていくという意識があったのですか?

佐藤:そうです。さっき言った「崇高さ」というのはすごく乱暴な言葉の選択だったのですけど、そういう素材自体が持っているものに頼らないで、それでもちゃんと、「自分が信じている絵があるところ」を作れるかなって。

島貫:ちょっとここで話を戻します。そもそも今回の展覧会で重要なキーワードになっている00年の展覧会についてお聞きしたいです。

佐藤:00年の修了制作では2つの会場を使わせてもらって、こちらが、「窓枠からはみだした空と窓枠を押し潰す空」というタイトルの展覧会です。そして、もう1つの会場で、「ラブ・レター着床(ポストの底に)」、っていうタイトルで展覧会をしたんですね。すごく端折ると、今回の展覧会は空と窓枠についての取り組みの作品と「ラブ・レター着床(ポストの底に)」っていうタイトルをつけた作品と、当時は会場を2つに分けないと成立させられなかった作品を、ここに来て1つの部屋で展示しているという感じなんですね。

「窓枠からはみだした空と窓枠を押し潰す空」より部分 制作年:2000年/素材:クレヨン、油絵の具、ペンキ、キャンパス、木枠、ベニヤ板、材木、段ボール、レジャーシート、レジャーバッグ、スライドプロジェクター/会場サイズ:540×450×378cm/展示場所:武蔵野美術大学5B号館-208室(東京)/撮影:柳場大

「窓枠からはみだした空と窓枠を押し潰す空」より部分
制作年:2000年/素材:クレヨン、油絵の具、ペンキ、キャンパス、木枠、ベニヤ板、材木、段ボール、レジャーシート、レジャーバッグ、スライドプロジェクター/会場サイズ:540×450×378cm/展示場所:武蔵野美術大学5B号館-208室(東京)撮影:柳場大

「ラブ・レター着床(ポストの底に)」より部分 作品内スライドタイトル:「重なっている手紙は書き手がめくってゆきますので、お呼びください。」 /作品内スライド撮影:小川原朝美/制作年:2000年/素材:鉛筆、クレヨン、オイルスティック、紙、スライドプロジェクター、木箱、針金、粘土、机、椅子/会場サイズ:980×915×550cm/会場:武蔵野美術大学図書館 2F写真スタジオ(東京)/撮影:柳場大

「ラブ・レター着床(ポストの底に)」より部分
作品内スライドタイトル:「重なっている手紙は書き手がめくってゆきますので、お呼びください。」 /作品内スライド撮影:小川原朝美/制作年:2000年/素材:鉛筆、クレヨン、オイルスティック、紙、スライドプロジェクター、木箱、針金、粘土、机、椅子/会場サイズ:980×915×550cm/会場:武蔵野美術大学図書館 2F写真スタジオ(東京)撮影:柳場大

島貫:今回は、それがついに合体した。

佐藤:はい。なぜこの時(2000年)に、1つの作品にまとめたり、片方のテーマだけ展示するとかせずに、2つの会場に分けて同時に展示したかというと、最初は1枚の空についてのドローイングから始まったからなんです。それが分かれて展開していったのですけれども、展示前が迫る最終的な段階の時期に入っても、それを1つにすることができなかったんですね。

島貫:1つのドローイングから始まったものが分岐したけれど、辿り着かなかったし、合流しなかった。

佐藤:でも、自分の中で、理由はわからないんですけど、どっちかに絞るっていう選択肢はどうしても無かったんです。まとめられないなら、強引にまとめず、両方を一度に出すっていうことがすごく自分にとってリアルだった。その時は、これが本当にやりたいことだということだけはわかっていたので、友人の力を沢山、借りながら、力づくで2つの会場を往復して展示しきったという感じでした。だけど、今になって当時を振り返れば、自身の制作の力がなくて2つの会場に分岐してしまったということだと思います。今も力が全然ついてないって思っているんですけど、当時はどうしても「今はそれはできない」という感じでした。

「ラブレター」というタイトル

島貫:「ラブ・レター着床(ポストの底に)」は、どういうテーマで展開したものだったのでしょうか?

「窓枠からはみだした空と窓枠を押し潰す空」より部分 制作年:2000年/素材:クレヨン、油絵の具、ペンキ、キャンパス、木枠、ベニヤ板、材木、段ボール、レジャーシート、レジャーバッグ、スライドプロジェクター/会場サイズ:540×450×378cm/展示場所:武蔵野美術大学5B号館-208室(東京)/撮影:柳場大

「ラブ・レター着床(ポストの底に)」より部分
制作年:2000年/素材:鉛筆、クレヨン、オイルスティック、ペンキ、紙、スライドプロジェクター、木箱、針金、粘土、机、椅子/会場サイズ:980×915×550cm/会場:武蔵野美術大学図書館 2F写真スタジオ(東京)撮影:柳場大

佐藤:この展覧会のひとつ前、1999年の夏頃に「ラブ・レター掲示(ポストのなかで)」というタイトルの個展をしたんですけど、そこから続いているんですね。

「ラブ・レター掲示(ポストのなかで)」パフォーマンス風景 制作年:1999年/素材:鉛筆、クレヨン、オイルスティック、ペンキ、紙、木箱、木材、紙袋/会場:武蔵野美術大学 5A号館 201号室(東京)/撮影:小川原朝美 *展覧会期間中に常時在室し、紙袋を中表にして履き、扉を開いて訪れてくださった観客に、巻いてあったり重なっているドローイングをめくって見せていくパフォーマンスを行う。

「ラブ・レター掲示(ポストのなかで)」パフォーマンス風景
制作年:1999年/素材:鉛筆、クレヨン、オイルスティック、ペンキ、紙、木箱、木材、紙袋/会場:武蔵野美術大学 5A号館 201号室(東京)撮影:小川原朝美
*展覧会期間中に常時在室し、紙袋を中表にして履き、扉を開いて訪れてくださった観客に、巻いてあったり重なっているドローイングをめくって見せていくパフォーマンスを行う。

「ラブレター」っていう言葉をどうして使うようになったかというと、べつにそれは恋愛感情のある人とかではなかったんですけど、友人が非常に深く落ち込んでしまって、その友達に向けて、当時はメールを使っていなかったので、なにか手紙を書こうと思ったんです。それで手紙を書いたんですけど、すごく傷ついている友達なので、どんな言葉を選んでも相手に届いたときに相手が痛いような気がして、慎重に言葉を探し続けるうちにどんどん時間が経ってしまって、書くのにすごい時間がかかって枚数もすごい枚数になってしまったんですよ。

島貫:出せないラブレターが溜まっていった?

佐藤:いえ、手紙としては1通で、1枚目、2枚目、3枚目、4枚目、5枚目、6枚目……みたいな感じです。

島貫:エンドマークが打てないということ?

佐藤:はい、書き終えられなくて、7枚とか8枚に行っても全然終わらなくて、全部で16枚くらいの手紙になってしまって。

島貫:大長編ですね。

佐藤:最後のほうはなんだかもう勝手にくるしくて、机と手紙と椅子に縛り付けられてるような感じになってきて、時間が止まってる感じで、何日も机で日が暮れて、とても長い時間でした。それで、なんとか書き終わったんですけど、今度は手紙を4つ折りにする段階になって、こんな厚さのもの折れなくて、無理やりに折ってはすごいぶさぶさで乱暴な感じだし、こんな厚みの手紙をもらったらそれだけでショックかもしれないと思って、今度は和紙の、すごーい薄い和紙があって、それに全部書き直したんですね。そしたら厚みが減るんで、それなら厚みも減るし薄いし軽いし柔らかいし、もらっても痛くないかもって。

島貫:これなら引かれないかも、という厚みになった。

佐藤:ひとまず、厚みでびっくりすることはないかなと思って。なんとかして形には整えたんですけど、それを今度ポストに出すっていう段階がまたすごく時間がかかって。「本当にこれを出していいのかな」っていうのがあって。かえってすごく傷つけるんじゃないかとか、ものすごく、机とポストとの間がもう何マイルも離れているんじゃないかって感じで。実際は歩いて行けるところにポストはあるのに、すごい辿り着かない遠さに赤いポストが立っている。その時のポストの見え方が、街のあちこちに赤いポストが立っていて、ただそこに入れるだけなのに、なんて遠くにポストが立っているんだろうっていう、そのポストの遠さと、手紙のその、和紙で薄いんだけどその重たさが……。

島貫:物質性を感じさせた?

佐藤:はい。質量としては薄いし軽いのだけれど、時間の重たさがすごい。そういう体験でした。

最終的にはその手紙をポストに投函することができて、相手も大丈夫だったんですけど、今思えばやっぱり危険なことだったかもしれなくて、「助かった」とまっすぐ受け取ってくれた相手に感謝ですけれども、その時の体験がすごく大きいです。学生だったからそういうことができたんですけど。 その時の物質感と時間の体験が、「ラブレター」というタイトルにつながっていて。絵を描いているとき、私が紙に絵の具で描いていく、こすりつけていく時の感じは、自分の体液が、絵の具になって、うにゅーと出てきて摩り付いているような感じで描いてるんですね。なので、私にとっては制作中の紙や絵を描いた後の紙は、ものすごい重たい紙なんですね。他の人が受け取れるようには整ってないというか、整えてないというか、他の人が持っていいように設定された紙じゃないっていうか。

島貫:気軽に渡せないものになるくらい、心理的な重みがあるという……。

佐藤:重くて。その時の感じが、手紙の体験とすごく似ていて、質量は軽い物質なんだけど、ものすごい重くて人には届けるか届けないか迷う、届けても届かないかもしれないものみたいな、その在り方が手紙と似ているなって思って。それで手紙の中で一番重たいと思った「ラブレター」っていう言葉を作品で使ったというのがあります。

島貫:この写真を見ていると、空間としては、今の展覧会でやっているような床面のイメージと、いろんな紙が折れたりねじられたりっていう状態が似ているように感じます。こちらはラブレターだったり、紙というものが持っている物質感みたいなものを扱おうとした試みだったのですか?

佐藤:そうですね。物質感……、描く時に感じる物質感は、現在の制作もそうですが、大きな課題としてありました。

この2000年の展示の写真にある大量の紙は、もともと99年に早朝の大学のごみ捨て場に新品で捨ててあったのを、慌てて全部もらってきたのを使ったものなんです。

学校の中の各科のごみ捨て場のなかで、私の制作の素材になりそうなごみが出る、気になる捨て場所が何か所があって、普段から、ほぼ毎日まわっていたんですけど。早朝の薄もやのかかった静かな時間帯で、最初、大量の大きな白い紙の山を見つけた時、おばけを見たくらいの衝撃で、あまりに驚いて、一回、自分のアトリエに走って戻りました。それで「あれは紙だ、あの何に対して自分は驚いてるんだろう?」と考えて、胸を押えながら、「あの非日常の物質量に対してだ」ということに行き着いて、「こんなにびっくりしたなら、このすごい物質感・物質量を、制作を通して飲み込めたら、私と私の制作はきっと成長できる」と思ったんです。それで、まず体で量感を体感しようと思って、大量の紙を抱えられるだけ抱き込んでアトリエまで歩いて自力で運ぶことから向き合おうとしました。でも、あまりに能率が悪い運び方に見かねて、途中から、おそうじのおじさんとおばさん達がお声掛けくださって、一斉にすごい連携でリヤカーで運んでくださって、助けてくださって。大変でしたのに、盛り上がってくださって、最後ジュースまでごちそうしていただいてしまって乾杯して。みんな笑顔で、ありがたくてものすごく嬉しくて、リヤカーが散っていった時、「ああこれは絶対、最初感じた怖れの、この物質感の克服を貫徹させたい」と思いました。すごく、その朝もやのごみ捨て場に白い紙の山がそびえていた光景や、思いがけず体験したことが忘れられなくて、今も励まされる感じがあります。

この時の00年の展示はその後、02年に発表した「ラヴ・レターの紙/ラヴ・レターのことば」という、手紙や文字や言葉の物質感に焦点を当てた展示に展開します。

「ラヴ・レターの紙/ラヴ・レターのことば」より部分 制作年:2002年/素材:チョーク、オイルスティック、手漉き和紙、針金、黒板/会場サイズ:900×700×300cm/展示場所:旧桜川小学校(東京)/撮影:柳場大

「ラヴ・レターの紙/ラヴ・レターのことば」より部分
制作年:2002年/素材:チョーク、オイルスティック、手漉き和紙、針金、黒板/会場サイズ:900×700×300cm/展示場所:旧桜川小学校(東京)撮影:柳場大

「ラヴ・レターの紙/ラヴ・レターのことば」より部分 制作年:2002年/素材:チョーク、オイルスティック、手漉き和紙、針金、黒板/会場サイズ:900×700×300cm/展示場所:旧桜川小学校(東京)/撮影:柳場大

島貫:それは、また違うテーマを展開したものですか?

佐藤:私は、これ(展覧会)1つ全体をもって、やっと1枚の絵を描いているって感じにすごく近いんです。

質問に応えられていないかもしれないんですけど、ラブレターっていうタイトルを付けたり、この写真の上にある中2階にある小さなスペースには「手紙を書く部屋」っていうタイトルをつけた実際の机と椅子を置いた場所(作品)まで作っていて……。

手紙を書く部屋 制作年:2000年/素材:紙、机、椅子/展示場所:武蔵野美術大学図書館2F 写真スタジオ中2F(東京) 作家撮影

手紙を書く部屋
制作年:2000年/素材:紙、机、椅子/展示場所:武蔵野美術大学図書館2F 写真スタジオ中2F(東京)/作家撮影

なんでひとつひとつ言葉でそういう物語を作るかいうというと、その物語自体が観る人に全部細かく伝わる必要はないと思うんですけど、その一方で、私は描く時に、ひとつひとつ自分の中でできるだけ言葉にして、自分が今どこを進んでいるのかっていうのを探っていきたいというか、自分の絵の現在地を言葉で知りたいというか、描くときに「描く側が物語を必要としている」という感じがすごいするんですね。

島貫:描く側の心理的なことだったり、モチベーションだったり、行為だったり。

佐藤:はい。実際は最終的にはそれが形として具象的な表現にはならなかったりとかするし、その物語が観る相手に全部伝わるってことが必要ではなかったりするんですけど、自分が制作をできるだけ正しい方向づけで進めていく為に、例えで物語が必要な気がしていて、それでタイトルに物語を託したりして、言葉を使っているんだろうなと思います。手と一緒に、制作がやろうとしていることの構造を、言葉で組み立てて、頭で知ろうとしているのかなと思います。

空と窓枠の関係

島貫:もう一方の、窓枠の方はどういったテーマだったのでしょうか?

佐藤:今まで言ってきたことを裏切る感じなんですけど、片方ではそういうラブレターとかで物語を必要としたりしてひとつひとつ紡いでいこうとする絵を描く(制作をする)んですけど、その一方で、ひとつテーマを自分の中で持つと、その枠組み、物語とか、そういう自分が規定した言葉とか構造、そういう枠組みから逃れようとする絵がどんどん出てくるんですね。それは、自分がそういう枠を必要としてきているんだけれども、そこから逃れていこうとするものが確かにあるという感覚で。そうして今度、いざ枠を失くしてみると、やっぱりなにかそういう枠のようなものがないと制作を進めて展開していくことが難しかったりして、その行ったり来たりがすごくあるんですね。そういう自分が絵を描いているときに出てくる矛盾を例えたものが「空と窓枠」なんです。

「窓枠」は、自分が絵を描く時に頼りにしてしまう、そういう枠の喩えです。枠は、自分が絵を描く時に言葉で組み立ててしまう物語の構造でもあるし、なぜか自分の制作する手が繰り返し描いたり作ってしまって、ほっとしてしまうグリッドの形でもあるし、ほっとしてしまう建築の確かさでもあると思うし、習ってきた美術の形式や歴史でもあると思うんです。逃れようとするけど、頼りにしてしまうし、逃げられない。

「in the picture/ out of the picture 絵のなか/絵のそと」会場制作風景 制作年:2002年12月/素材:オイルスティック、手漉き和紙、木枠、紙袋、布靴/会場サイズ:435×287×270cm/展示場所:Space Kobo&Tomo(東京)/撮影:柳場大

「in the picture/ out of the picture 絵のなか/絵のそと」会場制作風景
制作年:2002年12月/素材:オイルスティック、手漉き和紙、木枠、紙袋、布靴/会場サイズ:435×287×270cm/展示場所:Space Kobo&Tomo(東京)撮影:柳場大

「in the picture/ out of the picture 絵のなか/絵のそと」会場制作風景 制作年:2003年/素材:オイルスティック、墨汁、紙、木、布靴/作品サイズ:675×675×240㎝(会場サイズ)/展示場所:GFAL(東京)/撮影:柳場大

「in the picture/ out of the picture 絵のなか/絵のそと」会場制作風景
制作年:2003年/素材:オイルスティック、墨汁、紙、木、布靴/作品サイズ:675×675×240㎝(会場サイズ)展示場所:GFAL(東京)撮影:柳場大

in the picture/ out of the picture 絵のなか/絵のそと 制作年:2003年/素材:オイルスティック、墨汁、紙、木、布靴/作品サイズ:675×675×240㎝(会場サイズ)/展示場所:GFAL(東京)/撮影:柳場大

in the picture/ out of the picture 絵のなか/絵のそと
制作年:2003年/素材:オイルスティック、墨汁、紙、木、布靴/作品サイズ:675×675×240㎝(会場サイズ)展示場所:GFAL(東京)撮影:柳場大

窓枠があって、窓枠のこっち側は外で、こっち側は家の中だとすると、普通は窓枠から外を見て、空があって…みたいな感じで空を景色として捉えるんですけど。でも実際、正確には、ちゃんとした科学の話じゃないですけど、空が大気として、窓枠を飛び越えて室内にも入ってきているとも言えるんじゃないかと思って。空が窓枠を押しつぶすようにして向こうから部屋の中に入ってきているような感じが、もしかしたらあるんじゃないかと思って。

「てのひらをひらいて(この夜をおし上げていく光に名前はつけずに)」より部分 制作年:2012年/素材:コンテ、水彩絵の具、アクリル絵の具、油絵の具、オイルパステル、オイルスティック、紙、合成紙、銀紙、段ボール、木材/作品サイズ:630.0×633.3×540.0cm(会場サイズ)/展示場所:群馬県立館林美術館/撮影:木暮伸也/写真提供:群馬県立館林美術館

「てのひらをひらいて(この夜をおし上げていく光に名前はつけずに)」より部分
制作年:2012年/素材:コンテ、水彩絵の具、アクリル絵の具、油絵の具、オイルパステル、オイルスティック、紙、合成紙、銀紙、段ボール、木材/作品サイズ:630.0×633.3×540.0cm(会場サイズ)展示場所:群馬県立館林美術館/撮影:木暮伸也/写真提供:群馬県立館林美術館

「てのひらをひらいて(この夜をおし上げていく光に名前はつけずに)」より部分 制作年:2012年/素材:コンテ、水彩絵の具、アクリル絵の具、油絵の具、オイルパステル、オイルスティック、紙、合成紙、銀紙、段ボール、木材/作品サイズ:630.0×633.3×540.0cm(会場サイズ)/展示場所:群馬県立館林美術館 作家撮影

「てのひらをひらいて(この夜をおし上げていく光に名前はつけずに)」より部分
制作年:2012年/素材:コンテ、水彩絵の具、アクリル絵の具、油絵の具、オイルパステル、オイルスティック、紙、合成紙、銀紙、段ボール、木材/作品サイズ:630.0×633.3×540.0cm(会場サイズ)展示場所:群馬県立館林美術館/作家撮影

その、両方の見え方がある状態が、私にとってのリアルだなと思うんです。

それで、「窓枠からはみだした空と窓枠を押し潰す空」(2000年、修了制作)っていうタイトルを付けたんです。

「てのひらをひらいて(この夜をおし上げていく光に名前はつけずに)」より部分 制作年:2012年/素材:2コンテ、水彩絵の具、アクリル絵の具、油絵の具、オイルパステル、オイルスティック、紙、合成紙、銀紙、段ボール、木材/作品サイズ:6300mm×6333mm×5400mm(会場サイズ)/展示場所:群馬県立館林美術館/撮影:木暮伸也/写真提供:群馬県立館林美術館

窓枠からはみだした空と窓枠を押し潰す空
制作年:2000年/素材:クレヨン、油絵の具、ペンキ、キャンパス、木枠、ベニヤ板、材木、段ボール、レジャーシート、レジャーバッグ、スライドプロジェクター/会場サイズ:540×450×378cm/展示場所:武蔵野美術大学5B号館208室(東京)撮影:柳場大

島貫:写真だと逆光でわかりづらいんですけど、左にある角材っていうか木材が、実は大きな枠になっているんですよね。そして、奥にある窓枠とある種相似している、似たような枠がこの部屋の中に複数ある。それは、今言っていた窓枠ではなくて、「空」を意味しているのかもしれないですけど、それが部屋の中に浸食しているというか、突き抜けているようなイメージということですか?

佐藤:はい。

島貫:ラブレターもそうですが、佐藤さんの絵を描く時の体験性を、どうやったら絵に含み込むことができるか、というのがなんとなく佐藤さんの興味としてあるのかなと思います。そして、「窓枠」ってキーワードは今回の展覧会にも、実際に窓枠があるので非常に強く出ていますね。

「風穴」を開けるダイナマイト〜ライブドローイング

島貫:ここから今回の展覧会についてうかがっていきたいです。記録写真などを見ながら伺っていこうと思いますが、一番最初に出ていたスライドがほぼ初日で、今はだいたい中間くらいまで制作が進んでいるように思います。

初日に、齋藤徹さんというコントラバス奏者の方とのライブドローイング・セッションがあり、音楽の力を借りてというか、今回の展覧会は始まったわけです。パフォーマンスは、今回の空間にどのような影響を与えていると思いますか?

佐藤:今回のライブドローイング・セッションは、けっこうかなりショックなもので、落ち込みました。1月8日に齋藤さんとやらせていただいたのが、風穴を開けるための一番最初のダイナマイト、一発目のダイナマイトみたいな位置づけで考えていたんですけど。前回、昨年の7月に行った齋藤徹さんと田辺和弘さん、田嶋真佐雄さんとのライブドローイング・セッションでは、紙と絵の具と身体で体当たりでやってる感じで、紙でかたち作る彫刻的な要素だとか、紙や絵の具の立てる音だとか、そういうものも一緒に取り込んでいくみたいな形を取ったんですけど、今回は斎藤さんお一人ということもあって、どうしても描線だけで向かい合いたかった。

「そのメロディに会いに行く、リズムにぶつかる、ハーモニーを触る」ライブ・ドローイング・セッション コントラバス:齋藤徹、田辺和弘、田嶋真佐雄/ライブドローイング:佐藤万絵子/日時:2015年 7月20日/素材:オイルスティック、アクリル絵の具、紙/サイズ:600×1100×400㎝(会場サイズ)/会場:アサヒ・アートスクエア(東京)/撮影:柳場大

「そのメロディに会いに行く、リズムにぶつかる、ハーモニーを触る」ライブ・ドローイング・セッション
コントラバス:齋藤徹、田辺和弘、田嶋真佐雄/ライブドローイング:佐藤万絵子/日時:2015年 7月20日/素材:オイルスティック、アクリル絵の具、紙/サイズ:600×1100×400㎝(会場サイズ)会場:アサヒ・アートスクエア(東京)/撮影:柳場大

「そのメロディに会いに行く、リズムにぶつかる、ハーモニーを触る」ライブ・ドローイング・セッション コントラバス:齋藤徹、田辺和弘、田嶋真佐雄/ライブドローイング:佐藤万絵子/日時:2015年 7月20日/素材:オイルスティック、アクリル絵の具、紙/サイズ:600×1100×400㎝(会場サイズ)/会場:アサヒ・アートスクエア(東京)/撮影:柳場大

「そのメロディに会いに行く、リズムにぶつかる、ハーモニーを触る」ライブ・ドローイング・セッション
コントラバス:齋藤徹、田辺和弘、田嶋真佐雄/ライブドローイング:佐藤万絵子/日時:2015年 7月20日/素材:オイルスティック、アクリル絵の具、紙/サイズ:600×1100×400㎝(会場サイズ)会場:アサヒ・アートスクエア(東京)/撮影:柳場大

島貫:ドローイングの描線だけで?

佐藤:はい、ドローイングの描線だけで向かい合いたかったんですね。それで、私側はすごく静かなものにして、齋藤徹さんの音とリズムとハーモニーだけを、音色を描線にして返すっていうこと、描線だけを浮き彫りにしてやりとりをすることができないかという試みに集中したかったんですね。それで、そのことだけに集中する為に、今回は物質的な要素を出来る限り減らして、床面にしぼって描線を展開していったんですけど、それに必要な自分の描線の力というか、描線の「幅」が全然足りないことを改めて激しく痛感する体験になって。徹さんがいろんなきっかけを与えてくださるんですけど、それに静謐に描線の表現力だけで応えきるという、自分が目指していたことが全然できなかったんですね。その無能感みたいなものがすごくて、今回のアサヒ・アートスクエアでの会場制作は大きな挫折から始まった、みたいな感じだったんです。

徹さんが、「これはできるだろう?」って、「これでどう来る?」みたいな感じで振ってくださったものに対して、もう、私のせいでキャッチボールが全然成り立たないみたいな感じで。投げていただいたボールが本当に素晴らしかったから、それがすごく悔しくて。でも徹さんと向かい合わせて頂く過程で、まったく予想もしていなかった方法で、ものすごく静かな地平に出られたり、新しい世界をまた見せて頂きました。

「そのメロディに会いに行く、リズムにぶつかる、ハーモニーを触る vol.2」コントラバス奏者 齋藤徹さんとのライブ・ドローイング・セッション 日時:2016年1月8日/コントラバス:齋藤 徹/ライブドローイング:佐藤万絵子/素材:鉛筆、コンテ、オイルパステル、オイルスティック、アクリル絵の具、油絵の具、ペンキ、銀粉のり、紙、合成紙、銀紙、段ボール、綿、布、針金、材木/会場サイズ:1000×2000×600cm(総床面積約260㎡)/会場:アサヒ・アートスクエア(東京)/撮影:柳場大

「そのメロディに会いに行く、リズムにぶつかる、ハーモニーを触る vol.2」
コントラバス奏者 齋藤徹さんとのライブ・ドローイング・セッション

日時:2016年1月8日/コントラバス:齋藤 徹/ライブドローイング:佐藤万絵子/素材:鉛筆、コンテ、オイルパステル、オイルスティック、アクリル絵の具、油絵の具、ペンキ、銀粉のり、紙、合成紙、銀紙、段ボール、綿、布、針金、材木/会場サイズ:1000×2000×600cm(総床面積約260㎡)会場:アサヒ・アートスクエア(東京)撮影:柳場大

最初、今回の会場制作のスタートをそこから始められたのはすごく良かったと思っていて。すごく自分が足りてない、欠けてるっていうのを痛感することで、自分に今の自分はまだまだ全然ダメだよっていうお尻を叩けたっていうか、すごい良かったんですね。

「そのメロディに会いに行く、リズムにぶつかる、ハーモニーを触る vol.2」コントラバス奏者 齋藤徹さんとのライブ・ドローイング・セッション 日時:2016年1月8日/コントラバス:齋藤 徹/ライブドローイング:佐藤万絵子/素材:鉛筆、コンテ、オイルパステル、オイルスティック、アクリル絵の具、油絵の具、ペンキ、銀粉のり、紙、合成紙、銀紙、段ボール、綿、布、針金、材木/会場サイズ:1000×2000×600cm(総床面積約260㎡)/会場:アサヒ・アートスクエア(東京)/撮影:柳場大

「そのメロディに会いに行く、リズムにぶつかる、ハーモニーを触る vol.2」
コントラバス奏者 齋藤徹さんとのライブ・ドローイング・セッション

日時:2016年1月8日/コントラバス:齋藤 徹/ライブドローイング:佐藤万絵子/素材:鉛筆、コンテ、オイルパステル、オイルスティック、アクリル絵の具、油絵の具、ペンキ、銀粉のり、紙、合成紙、銀紙、段ボール、綿、布、針金、材木/会場サイズ:1000×2000×600cm(総床面積約260㎡)会場:アサヒ・アートスクエア(東京)撮影:柳場大

島貫:それは、気合いの入る体験だったという?

佐藤:そうですね、先にお話しさせて頂いた2013年の「紙袋の制作」が展開した今なら実現できる力がついたかもしれないって思ったけど、「いや、危ないよ」っていう…

島貫:そんな甘いもんじゃないよみたいな?

佐藤:ものすごいわからない、全然わからないところにもう一回放り戻された感じで、すごい良かったです。確かに落ち込んだけれど、この落ち込みの方角は正しいというか、必ずこの経験はこれからの制作の励みになると思いました。

島貫:そこから今の展覧会は始まっているわけですね。これが今日、24日なので、8日からすると約2週間経っていて、かなり立体的に空間が出来ている状態だと思うんですけども、最初にさっきおっしゃっていた齋藤徹さんとのライブは風穴を開ける為の起爆剤というかダイナマイトとしてやろうと思ったっていう話だったんですけども、「風穴」っていうキーワードもけっこう佐藤さんの中でたぶん大きくて、さっき言っていた「窓枠」、「窓枠」と「風穴」の関係をお聞きしたいです。

窓とか、今回実際にその窓枠を思わせるようなかまぼこ型というか構造物が一個あるのと、もう一個、アサヒ・アートスクエアって本当に光が入らない空間なので、一個だけ4階のエレベーターホールに小窓があって、そこに自然光が入るところが、ある時間に行くと光がパーッと入る感じになっているんですけども、まさにこれは窓枠ですが、この「窓枠」と「風穴」っていうものは佐藤さんの中でどういったものになるんでしょうか?

佐藤:「風穴」っていうのは、「紙袋の制作」で2013年に紙袋の外側に印刷されているものを作品の中に取り込めた時に…、それまで紙袋の内側だけが世界って思っていたのが、紙袋の外側に印刷されている色やお店のロゴなどの、街の雑踏みたいなものを絵のなかに取り込めた時に、それまでの自分が「絵のなかのこと」と思っていたところに、それは私にとっては、安全地帯のように外部から守られた場所だったはずなのですけれども、そこに初めて、いい意味でガツンと外気が通る穴が開いてしまったような感じがしたんですよ。

島貫:まさに風穴を開けるという意味で

佐藤:はい。描いている時、絵の外側にあって相容れない要素と思っていたものを「絵のなかのこと」に取り入れて、一個作品を作れたので、風穴が一個、新しく自分の中で開いた気がしたんです。

それで、2000年からこれまでのドローイングを全部、それらは各制作年ごとに描線の種類が違うんですけど、それらを今回どういうふうに構築していくかって考えた時に、うまく言えませんが、具体的な実際の建築技法は分からなくても、それをどういう構造で出来た建築物にしたいかというイメージは、制作に入る前に明確に持っていたかったんです。それで制作に入る前に言葉で組み立てたんですけど。

各ドローイングの制作年代ごとに、描きながらぶつかった「絵のそと」にあたるものがあったはずで、それは、絵が物質だということだと思うんです。今描いている目の前にしているその絵が物質だってことと、「絵のなか」にいる時の感じっていうのとを、その両極を感じる・感じられたということは、その両極を貫通できた瞬間っていうのが必ずあったはずで…、その道すじを「風穴」と呼ぶことができるんじゃないかと思ったんですね。各年代ごとにそういう「風穴」がきっとある。そこを慎重に見つけて、数珠つなぎに貫通することができれば、各制作年代を統合した建築物ができるんじゃないか、各制作年代のドローイングをひとつの作品として構築できるんじゃないかと思ったんです。

島貫:ちなみに今回の展覧会ではいろんな年代の作品を使っていると思うんですけど、一番古い作品ていつ頃のものですか?

佐藤:今回使っているもので一番古いものは2000年です。

島貫:そうすると例えば2000年、2002年、2003年、2007年、2013年の作品っていうものがこの空間の中でバーってならされていて、それを一つ繋ぎにできるものとして「風穴」っていうものがあった。

佐藤:そうですね。

島貫:そうするとその「風穴を開ける」っていう慣用句があるように、もっと大きくというか、動態、動く状態ですね、こういうのを指してることなのかなっていう気もするんですけども、それは例えばこの空間の中に「これが風穴です」みたいなものがあるわけじゃなくて、この空間でやってること自体が風穴性みたいなものを含んでいる。

佐藤:はい。

島貫:そうすると「窓枠」っていうのは、今回非常に具体的に窓枠があるわけじゃないですか。さっきもちょっと「窓枠」についての話がありましたけど、「窓枠」っていうのは…改めて聞かせてもらっていいですか? 佐藤さんにとってどういうものなんですか?

佐藤:描いているときの「絵のなか」と物質感としての「絵のそと」を、瞬間的に繋ぐ「風穴」はどういう形状かはわからないんですけど、トンネル状なのか障子紙に穴を開けたくらいの薄さで成り立っているのか、とにかく、風がスースー通ったり光が通ったりすると思うんです。その、「風穴」が開いているところには輪郭があるはずだと思うんですよ。風穴が開く時、開いた時、風が通った跡には、輪郭が残ってしまうと思うんです。その輪郭を型どったものが…

島貫:「窓枠」だと。そうすると、とても物質的ですけど同時に概念的なレイヤーがあって、展覧会での窓枠はあの中に光源があるので紗幕みたいになっていますけど、実際はあれが風が入ってきているってイメージだということ?

佐藤:こっち側(エレベーター側)に、カーテンを模した薄いオーガンジーの布地にドローイングをしたものが吊ってあるんですけど、外光がこっちから入ってきて透けていて、一番最初は扇風機を付けて実際に風が入ってきてる状態を想定していたんですけど、

島貫:そうですよね、ライブドローイングの時はありましたもんね

佐藤:はい。こっち(かまぼこ型の窓枠の方)は「風穴」の光担当で、こっち(エレベーター側)は風担当。「風穴」から入ってくる風を一番感じとれているのはカーテンだろうなと思ったので、描いているときの「絵のなか」と物質感としての「絵のそと」を繋いだ跡として、かたつむりの歩いた後のようにゆっくりと銀色のペンで描いた跡のある、薄くて光を沢山通すオーガンジーのカーテン(2011年制作)をそこに付けました。

curtain 制作年:2011年/素材:銀粉のり、布、針金、銀紙、ビーズ/作品サイズ:2530×76.5×275㎝(会場サイズ)/会場:所沢市生涯学習推進センター(埼玉)/撮影:加藤 健

curtain
制作年:2011年/素材:銀粉のり、布、針金、銀紙、ビーズ/作品サイズ:2530×76.5×275㎝(会場サイズ)会場:所沢市生涯学習推進センター(埼玉)撮影:加藤 健

「机の下でラブレター(ポストを焦がれて)」展、初日前日の着地点
制作年:2016年/素材:鉛筆、コンテ、オイルパステル、オイルスティック、アクリル絵の具、油絵の具、ペンキ、銀粉のり、紙、合成紙、銀紙、段ボール、綿、布、針金、材木/作品サイズ:10m×20m×6m(会場サイズ 総床面積約260㎡)/展示場所:アサヒ・アートスクエア(東京)/撮影:柳場大

「机の下でラブレター(ポストを焦がれて)」展、初日前日の着地点
制作年:2016年/素材:鉛筆、コンテ、オイルパステル、オイルスティック、アクリル絵の具、油絵の具、ペンキ、銀粉のり、紙、合成紙、銀紙、段ボール、綿、布、針金、材木/作品サイズ:10m×20m×6m(会場サイズ 総床面積約260㎡)展示場所:アサヒ・アートスクエア(東京)撮影:柳場大

景色の変化

島貫:そういう意味では最初のライブドローイングが「風穴を開ける為の起爆剤」になっているということがあるように、そこを通り抜けていくような軌跡がおそらく今回徹さんとこの空間の中には重低音というか最初の基調音みたいな感じであると思うんですね。そして今は、かなり険しい山の中に踏み込んでいくような体験性がありますね。

佐藤:昨日、八割くらいのところまで一回たどり着きましたが、そこで制作が止まったんですね。それで、もし他の人に「完成」って言われても、ああそうだなっていうところに行き着いたんですけど、でもそれは全然私が到達したいと思っている景色ではないことがはっきりわかっていたので、今日やる作業は、今見えている景色を壊す作業だなっていうのは分かっていたんです。なので、今朝は制作に入るのが本当にすごく怖くて…。入るのが怖かったんですけど、とにかく今日はずっと壊す作業をしていました。

島貫:2日か3日前に打合せを兼ねて一回来たんですけど、その時はわりと「今は三割くらいです」とおっしゃっていて。本来の予定であれば、今はもう二期に入っていて、二期は完成させた状態、フィックスしたものとしてお見せしようというプランだったんですけど、今は二期に食い込んで制作が続いているような感じなわけですよね。ただ、2日前に三割だったものが、今は八割みたいなことになっている。でも今それを壊そうとしているプロセスがあり、そうすると佐藤さんの中で今回の到達したいところ、それはさっき言っていた2000年の展示で混ぜられなかったものを合流できたってことと重なって来ると思うんですけど、今回の目的地っていうのはどこに、どういうものだと思われますか?

佐藤:次はこうしてああしてっていう、今この後に自分がやる作業(制作)は指令みたいな感じで頭の中で具体的に順々に決まっていて、リスト化されて追い立てられている感じで。まずはそれを全部こなして…。たぶん、それで行き着いて、ここから先はもうわからないっていうところですかね。最後、その景色を見て、ちゃんと自分が降参できるかっていうのに懸けてるというか、それを願っているんですけど。

島貫:降参? 参ったってことですか?

佐藤:そうです。降参ていうか、もう足すも引くもできないところっていうか。そこに行き着いた後にどういう意識になるのかな、っていうのは、作品の完成度とはまた別に観察しなきゃいけないところとしてあるんですけど。制作を新しく前進できたと思う時もあるし、しばらく経ってから、ここまでの着地点だったかと落胆することもあるし。

島貫:それこそ、かなり冒頭におっしゃっていましたけど、今までギャラリーなどでやっていたドローイングのシリーズをいつか一堂に並べようと思っていた。でもそれは本当に大事なことだから言葉にしなかったっておっしゃっていたのと同じように、おそらく、なかなか言葉にしてしまうと分散消失してしまうようなものだと思うので、そこはあまり突っ込まないでおこうかなと思うのですが。さっきAとBの2000年の2つが合流できた、あるいは合流できるって予感があったから今回の展覧会があったはずで、実際やってみてその合流はできたと感じられていますか?

佐藤:今がそうですね、だいじなところ。今、机と窓枠が出会い始めている。

島貫:机というのはあの入口にある?

佐藤:そうです。机が、ラブレターを書く為の机と、窓枠が。昨日「完成だ」と思っていたのは、「机とラブレター」の制作が止まってたからバランスが成り立ってたというか、「空と窓枠」の制作が一方的に勝ってた状態なんですね。「机とラブレター」の制作のところは黙って控えている状態だった。今は、「机とラブレター」の制作が押して来てる、グッとせり出して来てる。今、「机とラブレター」の制作が、一度固まりかけた空間を押し返し始めているところです。

島貫:実際今日はそうですよね。入口から入った机のところに、わりと赤を基調にした紙をガンガン天井から付け加えていますよね。僕はそれを、押し出してる感じなのかなと。そういうプロセスっていうのがあったんですね。展覧会そのものは30日まで続きますし、おそらくまだまだこれからも変化し続けていくと思います。

実は今日会場に、2000年くらいからの佐藤さんの展開を継続的にご覧になっている美術ライターの白坂ゆりさんがいらっしゃっています。白坂さんにもちょっとお話を伺おうと思っていまして。今回の展覧会を見て、いかがでしょうか?

白坂:私が最初に観たのが、そんなに継続的っていうほどでもないんですけど、2002年の「space kobo & tomo」っていうところで、銀座の奥野ビル地階にあるギャラリーでやっていたんですけど、今回の入口の赤い紙がぶらさがっている、あの白い和紙に赤い絵の具で描いていた展示を公開制作しているところを拝見していて。あとはいくつか緑のものとか、銀紙のものだとか、その全てを合流させるっていうのは知らなかったんですけど、見覚えのあるものが、形は変わっているんですけど、いくつかあって。2002年に公開制作をされていた時に、紙の中に潜ってすりつけるように描いていたり、音を聴くように、その中を覗き込むような感じで描いていたりして。当時は銀座の画廊街を皆まわっているような感じだったので、やっぱり話題になっていたというか、「すごい人がいるよ」っていう感じがあって、あの辺りで見に行っていた人がいます。その時から、佐藤さんはすごい謙虚におっしゃるんですけど、大きな空間ができそうっていうか、爆発力があって。今回はやっぱりすごいなって。

島貫:実際広い空間でやっていますもんね。

会場からの質疑応答/「絵」と「絵画」

島貫:お客さんからご質問あればどなたか。作品のことでもかまいませんし、この部分はどういうことなんですか? ということでも。たぶん、今の話はかなりいろんなところに飛びながら話していったので、突っ込みがまだまだ足りない部分もあったかと思うので疑問に思われたところとかもしもあれば。

質問者:2002年の展覧会を一緒にやりました。改めてなんですけど、佐藤さんとはずっと何年か一緒に展覧会をして頂いて、今日のお話を聞きながらひとつ感想なんですけど、当時から彼女の考えていた絵の世界っていうのが、今日の言葉も全く変わらず、ある意味ぶれない姿勢。絵に向かう考え方っていうのが変わっていなくて。それはただ変わっていないということではなくて、それが彼女の中でどんどん押し進められているというか。今回の展覧会でもひとつひとつ進んでいるなというのが、非常に大きな印象としてありました。

あと、いろんなお話を彼女とすると、はっとするようないろんな名言を受けてきたんですけど、ひとつ象徴的だなと思ったのは…、昔、2000何年だったかわからないんですが、万絵子さんの絵の描き方で彼女から聞いたのは、「自分の絵を描く人生というのはもう決まっていて、その絵を描くのに自分の人生はたかがあと60年くらいなので、自分の人生が終わってしまう。ただ、絵というのは100年も200年もこのまま残っていくものだ」と。「そう考えた時に、自分のたかが数十年の人生のために、絵のスピードを合わせていくのは非常に暴力的だ。」と。「そうではなくて、その絵が100年200年生きていく時間軸を、いかに自分がそれに合わせていけるかというのが、自分が絵に向かう姿勢だ。」と。そういう話を聞いたのがとても印象的だったので、今日のお話を聞いても今までの展開を観ても、その流れというのはすごくぶれていないなと思いました。

島貫:いかがですか?

佐藤:覚えて頂いていて、とてもありがたいです。

質問者:簡単な質問なんですけど、端的に、佐藤さんにとって「絵」っていうのは、「絵を描く」ということは、どういう言葉で示せば良いでしょうか?

佐藤:私にとっての絵は、すごく個人的な私と絵との距離の話になってしまいますけれど、描線を引いている時は、自分の心の内側に新しい傷をつけている感じなんですよね。線を引くって。私にとって描線を引くってことは、自分の心の袋みたいなものがあるとしたら、その袋の内側にこう、ニードル、版画で使うニードルみたいなもので線を引くことなんです。そういうふうに思うと、嘘の線は絶対引けないんです。人に見せるための線とかっていうのじゃなくて、自分の心の内側に立って引っ張っていくひとつの線だとすれば、いい加減な線っていうのは絶対引かないって思うんですね。すごい痛いことだし、自分の全力かけてる、自分の全部、細胞も全部使うことなので、そこでは「人に見せるため」とかって無駄なことが出て来なくなることなんですね。なので自分にとっての、本当の線っていうか、そういうふうに思えるもの、そういう線だけを出す、残す、本当にそういう線だけを残したいと思っていて。それなので、制作をしていて、なんとなくそういう線じゃないのが出て来る瞬間があって、そうすると「ああ、もう今日はダメだ」って、「ここで制作は終わりだ」ってなって。会場制作の終わり際も、そのような、「こういうふうになったら展示としていいんじゃないか」みたいな、そういう変な考えが浮かんできたら、もうその日は正しい判断はできないっていうか。そういう感じで。

うまく答えられてないですけど、私にとって絵は、描いている一本一本の線の上は、いつも新しくて、本当に誠実でいられる最後の場所かなと思います。

島貫:佐藤さんとお話ししていると、今も「絵」って言い方をされますね。でも「絵画」と「絵」はだいぶ違うって話もされていて、今の展覧会でやってらっしゃることは佐藤さんにとってはどちらなのでしょう? 「絵」のことをやっている? それとも「絵画」のことをやっているんでしょうか?

佐藤:「絵画」のこと、とは絶対言えないと思っていて。私は「絵」をやってるとしか言えないと思っています。「絵画」には、キャンバスで脈々と続いている歴史があって、そのキャンバスの織目に織り込まれてきた絵画の歴史を感じながら、それと真向いに向き合って、それでもなお今この地点で、この時に、そういうキャンバスから逃げず、真向いにちゃんと向き合ってる人が「絵画をやってる人」と思って、すごく尊敬しているんですね。なので、その言葉はすごく使いたくなくて、私がやっているのは、絵画にすごい憧れているけど、届いていないところにいるのが私だし、すごく極端な話、そのキャンバスに描きたいけど、それができないっていうところをちゃんと私は見なきゃ行けないと思っているんです。なので、「絵画をやってます」ということは絶対に言っちゃいけないと思っていて、私がやっているのは「絵」で、「絵画」になりきれないところにある。

私が多分やりたいのは、そういう「絵画」が在って、それを観る人がいて、その間に「絵の空気」がある、その「絵の空気」、「絵が在るところ」そのものを抜き出してこの現実空間で触りたいというか、触れるような物質に還元したい、その場を作りたいんだと思うんですね。

なので、まちがってるかもしれないけれど、すごく彫刻に憧れているところがあって。彫刻って、ものの「在りよう」を見せてくれるものでもあると思っていて。彫刻は、置かれている地面やお寺や美術館の床に続く台座があったり無かったりして、なんとかして世の中の現実世界と一緒にくっ付こうと頑張っている感じがするというか、いつも、ぎりぎりの際に立っている。物質として在ったり、モノとしてはっきりした影ができることも、堂々と等しく引き受けてる。そういう、彫刻と現実世界との在りようみたいなもの。その逞しさに憧れます。触れるような、彫刻みたいに触れるような、そういう「絵があるところ」を作りたいって思っているんです。

島貫:他、ご質問など大丈夫でしょうか?

今のその「絵」の空気、「絵画」と人の間にある「絵」の空気のお話をされていましたね。じつは僕は最近、演劇について原稿を書いたり取材をすることが非常に多くなっています。そういうふうに、絵画ではない、美術ではない領域から佐藤さんの制作とか営みみたいなものを観ていくと、そこにはもちろん「絵」の問題、「絵」の圏域の問題がありますが、そこには彫刻的だったり、建築的だったりするような異なる身振りを感じます。実際この企画書の中でも「建築法」ってお話をされたりとかしていて。その「絵」というものの中にいろいろな側面がある筈だという気がして、それをある種半ば外にいるような僕だったり、あるいは運営委員の中には音楽をやってる人もいらっしゃいますけど、音楽の人から見た時になにか発見する「絵」的なものとか、なにか発するものとか、「絵」の喜びみたいなものが佐藤さんの空間の中に立ち上げられている、あるいは空気の中に混ざっていてなにかを感じることができるっていうのが、おそらく佐藤さんの作品世界の魅力なんだろうなと思うんですね。今回も展覧会としては、1月8日から始まって30日まで約三週間ではあるんですけれども、その時間の中でなにかを見ることができたり体験することができるっていうのは、とても豊かなことだなって僕個人は思っています。今日も21時まで展覧会は続きますし、佐藤さん次第ではあると思うんですが、まだ制作も続くと思いますので、ぜひ引き続きご覧頂ければと思っております。最後になにか一言あれば。

佐藤:お忙しいところお時間割いてくださいましてありがとうございました。

島貫:あとは展示を観てくださいってところですかね。そんなところでだいたい1時間半くらいなので。最後に佐藤さんに拍手を。

佐藤:ありがとうございました。